大判例

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大阪高等裁判所 昭和60年(ネ)1623号 判決

控訴人

兵庫県競馬組合

右代表者管理者

三木真一

右訴訟代理人弁護士

大白勝

松岡清人

被控訴人

西井てるゑ

右訴訟代理人弁護士

深草徹

藤原精吾

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一申立て

(控訴人)

一  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(被控訴人)

主文と同旨

第二主張

次のとおり付加、訂正するほか原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決三枚目裏一行目の「までは」を「までの間には、」に改める。

二  同四枚目表一二行目の「原告は、」の次に「昭和四九年一月以後、頸、両肩が痛み、夜になると手がしびれて痛み、肩がこる、背中がだるいといった症状が現われ始め、昭和五〇年に入ってからは、手に力が入りにくく、両腕がこわばるなどの症状が出たため、同年一一月四日から兵庫医科大学病院整形外科で診療を受けるようになったが、」を加える。

三  同一〇枚目表八行目の「作業である」の次に「し、上肢、肩に特に負担をかけるものではない」を加える。

四  同一〇枚目裏二行目の「拘束時間は」の次に「、六時間四五分であって、」を加え、同一〇行目の次に改行のうえ以下のとおり加える。

「仮に、右の労働に何がしかの疲労が伴うものとしても、右の程度の労働にあっては、その疲労は就労時間外あるいは就労しない日において回復されるはずのものである。」

五  控訴人の補充的主張

1  仮に、被控訴人の疾病が頸肩腕症候群であるとしても、右疾病は被控訴人が従事してきた支払補佐の業務に起因するものではないと解すべきであるが、この点については以下の事情も考慮されるべきである。

(一) 頸肩腕症候群が業務に起因するものかどうかは、患者の体質、素因、基礎体力、生活歴等を充分考慮に入れたうえ、その作業態様、業務従事期間、業務量、職場環境等を調査して結論を出さなければならず、その判断にはかなりの困難を伴うため、労働省労働基準局長は昭和五〇年二月五日通達(基発第五九号、以下本件通達という)を発し、前記判断についての基準を示しており、右通達は右の業務基因性の認定に当って重要な基準となるべきものである。そして、被控訴人の場合についてみると、その業務量は、右通達の示す要件を満たさないし、その年間の労働日数(月間平均一四日程度)、一日の拘束時間、実作業時間等を考慮に入れて、右基準と対比してみても、被控訴人の作業が過重な状態にあったものといえないことが明らかであるし、また、右通達では、仮に頸肩腕症候群に罹患していても、それが業務に起因するものであれば、適切な療養を行うことによってその症状はおおむね三か月程度で消退するものと考えられているところ、被控訴人は、本件疾病により業務を離れて長期間その治療を継続することを要していることからみると、右疾病の原因は被控訴人自身の素因などその業務以外の事由によるものとも考えられるのであって、支払補佐の業務と本件疾病との間に相当因果関係はないというべきである。

(二) 被控訴人の支払補佐としての作業内容は、各開催日ごとに繰り返される定例的なものであり、しかも被控訴人は長年従事してきたものであるから、特別の緊張が伴うものとはいえないし、また、誤払いがあった場合の処分についても、過去において支払補佐が窓口係とともに損害金の支払を命じられた例は皆無であり、減給処分についても実際に課せられた例は比較的少なく、大部分は口頭訓戒だけで済まされていたのであり、被控訴人についても過去に右口頭訓戒が四回なされただけであるから、被控訴人が右支払補佐の業務に関して右処分の関係で特に神経を使うとか緊張を持続しなければならない状況にあったとは考えられない。

(三) 次に、県及び両市は、被控訴人につき別紙配置表(一)のとおりの配置替えを行っており、被控訴人が特に多忙な帳場への配置が多かったということはないし、また、園田競馬場では、比較的多忙な日には応援要員約三〇名ないし五〇名を雇用して配置し、さらに正月、盆開催のように繁忙の場合には班長等が状況をみて随時応援をしており、被控訴人の作業量が過重であったとは云えない。

(四) 次に、職場環境についても、被控訴人が使用していた机は、当時のJIS規格の事務机とほぼ同様のものであって、その使用に際し特に姿勢に無理が生じることはなく、椅子もJIS規格のもので、特に問題はない。なお、机については、被控訴人の座る側の足元に桟があったが、実際に作業する場合には立ったり座ったりして行っていたのであって、右桟の存在によって特に無理な作業姿勢を強いられるということは考えられない。また、払戻窓口から吹き込む寒風の影響であるが、支払補佐と右窓口との距離は一三四センチメートルあり、窓口の大きさは拳が入る程度のものであるうえ、通常の場合、払戻開始でこれを開け、締め切りの合図で閉めているのであるから、たとえそこからある程度の風が吹き込んでも、室内には暖房もなされている以上、有意の影響があるとは考えられない。そして、他に被控訴人の従事していた作業環境に関して特に劣悪な点は存しない。

2  県及び両市には、本件に関し安全配慮義務の違反はないものというべきであるが、この点に関しては以下の事情も考慮されるべきである。

(一) 昭和四八年に産業衛生学会が頸肩腕障害についての検査項目を発表したが、それは整形外科医等から一般に賛同を得たわけではなく、直ちに実施されるべきであるということにはならないし、右発表内容は、右学会に属しない大多数の医師に対してすら知らせる方法、手段は取られておらず、県や両市の競馬関係労務担当職員等に特別に知らされたということもないから、右学会の発表を理由として、被控訴人発症の以前の段階において、支払補佐に対して頸肩腕障害に対する特別の検診を県や両市が実施すべき義務があったものということはできない。

(二) 県及び両市は、被控訴人ら払戻関係従事員の作業量が相当となるように配慮して、前記(前項(三))のように配置替えを行い、応援対策をとっている。

六  被控訴人の反論

1  被控訴人の本件疾病の業務起因性を否定する控訴人の主張は全て争う。控訴人が(一)項において引用する本件通達は、産業衛生学会においても批判を受けており、それまでの医学的研究成果を正しく反映していないものであるから、右通達を前提とする控訴人の主張は相当でない。また、(二)項の処分に関する主張は事実に反するものであって、過誤払いによって被控訴人が受けた処分は、明らかなものでも減給二回、訓戒(始末書提出)四回であり、その他に非公式に自ら不足金を負担して過誤払を解消した回数は数えきれない程あって、これらの点からも、被控訴人の業務が緊張を伴うものであったことは明らかである。次に(三)項の配置替えに関しては、別紙配置表(二)のとおり、被控訴人については、機械化前には長期間配置替えはなされていないし、また、機械化前後を通じて多忙な帳場を連続して担当していたものである。最後に(四)項については、控訴人は机がJIS規格に適合する旨主張しているが、右規格は本来的な使用方法をする場合にのみ意味をもつものであるのに、被控訴人の職場のように、四人で向いあって使用すべき机を長辺に窓口係を向きあって座らせ、足の部分に桟のある短辺に支払補佐を座らせるような使用方法をする場合には右規格に適合していても何ら有効性を有するものとはいえない。

2  県及び両市の安全配慮義務違反を否定する控訴人の主張は全て争う。なお、(一)項において、控訴人は、昭和四八年に産業衛生学会が頸肩腕障害についての検査項目を発表したからと云って、これに基づいて直ちにその特別検診を行うべきだということにはならない旨主張しているが、昭和四〇年代に頸肩腕障害に関する労災認定業務、その発症の機序や病像の研究、対策を求める動きが進展し、本件支払補佐の業務のように、いわゆる札勘を主体とし、極度に神経を集中する業務は、前記障害発症の危険性ある業務であることは、当時の右の進展に注意すれば容易に知り得た筈であって、県及び両市は、中高年の婦人にこのような障害発生の危険性のある業務をさせる以上、整形外科医を含む産業医や医学研究者で構成され、職業病の解明、予防、診療に関する包括的な研究を主たる目的とする産業衛生学会でどのような論議がなされているかを注視しなければならなかったのであるし、また、昭和四三年頃から民間企業でもいわゆる札勘業務に従事する者も対象に含めて、頸肩腕障害のための特殊健康診断が実施されていたから、地方公共団体である県及び両市がこれを実施しなかったのは相当でないことも考え合わせると、控訴人の右主張は失当といわなければならない。

第三証拠関係

原、当審訴訟記録中の証拠に関する目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  当裁判所の認定、判断は、次のとおり付加、訂正するほか原判決の理由説示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決一二枚目表二行目の(証拠の付加略)。

2  同一二枚目裏六行目の「その後」の次に「その投票所の払戻補佐から」を、同七行目の「受けると、」の次に「同一支払帳場に配置されている」を、同一二行目の「一〇票」の次に「として票数を換算する」を、それぞれ加える。

3  同一三枚目表三行目の「金額を」の次に「紙幣につき」を加え、同一一行目の「を支払うか」を「の支払を命ぜられる可能性があるし、また、各種の処分も予定されていて、通常は口頭による訓戒処分が多いが」に改め、同裏三行目の「背中合わせに」の次に「一〇〇枚で」を加える。

4  同一四枚目裏九行目の「休憩時間はなく、」の次に「昼食も最初のレース発走前頃(午前一一時前後頃)に急いで済ませていたもので、」を加える。

5  同一五枚目裏九行目の「二人」の前及び同一一行目の「一人」の前にいずれも「長い方の側面に」を、同行の「従前の机の」の次に「短い方の」をそれぞれ加える。

6  同一六枚目表六行目の「機械化」の前に「園田競馬場における投票券発売業務についての」を加える。

7  同一六枚目裏四行目の(証拠の付加等略)。

8  同一九枚目裏一〇行目の「二五日」を「五日」に改める。

9  同二〇枚目表八行目の「前掲」を「成立に争いのない」に改め、同一一行目の「原告」の前に「原審における」を加え、同裏一行目の末尾に続けて次のとおり加える。「また、(証拠略)によれば、被控訴人には、昭和五〇年一一月当時、第六、七頸椎間に軽度の狭小、すなわち椎間板の変性が存在し、変形性頸椎症の診断を受けたことがあり、これは本人の業務と直接関聯性なしに加令によっても発症するものであることが認められるが、他方、右証人及び前掲証人伊藤友正の各証言によれば、被控訴人の先に認定した症状は、右変形性頸椎症のそれとは異ったものも含まれていて、同症のみでは説明がつかないものであることが認められるから、同症の存在は、前記の業務起因性の判断を左右するに足りるものとは解されない。」

10  同二一枚目表四行目の「のに」から同八行目末尾までを次のとおりに改める。

「。そこでまず、右配置替えの点について検討すると、(証拠略)によれば、被控訴人について、昭和四七年六月九日以降園田競馬場における配置帳場を別紙配置表(三)のとおりに配置替えをしていること及び同競馬場における右時点以前での被控訴人の配置帳場の移動は一年に一回かそれ以下の割合で行われていたことが認められる。ところで、被控訴人が担当していた支払補佐の作業量は、先に認定したとおり、従事投票所、帳場の位置等によりその繁忙度に差があるから、業務量の負担の均等化を図り、特定の従事員の作業量が過重な状態で継続しないよう配慮して適切な帳場の配置替えを県及び両市は実施すべきであったところ、右認定のように昭和五一年一月以前における配置替えの間隔は殆んど一年ないしそれ以上となっていて、その後の右間隔と比較すると著しく長くなっており、支払補佐の作業量や作業内容からみて、右の間隔はやや長きに失するものと解されるし、また、(証拠略)及び右被控訴人本人の供述によれば、投票所のうち、前記機械化前における第五、それ以後における第一、二、七の各投票所が払戻額等からみて比較的繁忙な所であり、また、一般的にいって、各投票所内の帳場のうちでも端ないしそれに隣接する帳場が比較的繁忙であることが認められるところ、被控訴人の配置についてみると、前記配置表(三)のように番号四以降の八回の配置替えのうち、五回は前記の比較的繁忙な投票所に配置され、また、帳場についてもうち五回は端ないし端から二番目に配置されているのであって、右の配置替えは、従事員の数、技能、人間関係等諸般の事情も考慮されなければならないとしても、前記の業務量についての配慮は重要なものであって、この点からみると、被控訴人に関する前記の配置替えは不適切であったことは否定できない。

次に、繁忙時における応援の点について検討すると、(証拠略)によれば、園田競馬場においては、昭和四九年一月以降繁忙が予想される開催日には他の競走場の従事員の応援を受けていたこと及び同一投票所内でも特に繁忙時には適宜所内の者による応援がなされていたことが認められるが、他方、右各証拠によれば、右の他の競走場の従事員の応援は、その大半が支払帳場以外の業務について行われており、昭和四九年一月三〇日に園田競馬場で起った暴動事件以前においては、繁忙日に特別に支払帳場に応援がなされたことがあったが、その後は右の形の応援はなくなり、通常の支払帳場の構成員が居ない場合にその補充としての応援がなされるだけとなっていたこと及び前記の投票所内部での応援は大口の払戻があった場合でしかも支払業務自体を直接応援するものではないことが認められるのであって、以上の応援によりすでに認定した被控訴人らの支払業務従事者の業務量ないし勤務状況が特に改善されたことを認めるに足りる証拠はない。

以上に検討したところからみると、県及び両市の従事員の配置、応援についての対策には不十分な点があったことは否定できない。」

11  同二一枚目裏一〇行目冒頭から同一二行目の「あるから」までを次のとおりに改め、同末行の「証人」の前に「原審」を加える。

「(証拠略)によれば、昭和三〇年頃から、わが国において職業性頸肩腕障害が問題とされるようになり、医学者や各種の研究団体でその発生原因、病状、対策等についての研究が進められていたが、職業病の解明、予防、診療に関係する整形外科医等の医師や医事研究者等によって構成する日本産業衛生学会も、労働省の委託を受けてその頸肩腕障害研究会において昭和四七年頃から右研究に取組み、昭和四八年には、頸肩腕障害の定義や病像の分類とともにその検査項目を発表したこと、右発表した報告書は特に県や両市に交付されてはいないが、医師でなくても一般に購入しうるものであること及び昭和四〇年代後半には銀行等民間企業においていわゆる札勘業務に従事する者等に対して頸肩腕障害のための特殊健康診断を実施するものが現われていることが認められるのであり、このような事情と他方では先に認定したように被控訴人の従事していた業務が多量の紙幣や投票券の勘定の作業を含み、精神・神経的緊張を伴うなど頸肩腕障害発症の危険性のあるものであることからみても、前記発表がなされた時から長期を経ない間に」

12  同二二枚目表五行目の「早期発見」から同六行目の「明らかであり」までを「早期発見のためになすべき相当な配慮を怠ったものというべきであり」に改める。

二  以上に控訴人の補充的主張にも留意して検討したが、当審において取調べた各証拠によっても、以上の認定判断を左右するに足りない。

三  そうすると原判決は相当であって、本件控訴はその理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石川恭 裁判官 大石貢二 裁判官 松山恒昭)

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